めたる系IT日記

メタルを織り交ぜつつIT系を中心とした日記です

フリーランスむかし話

この記事は「フリーランス残酷物語 Advent Calendar 2016」 12日目の記事です。
4年前にメタル(音楽の方)をテーマとしたAdvent Calendar を立ち上げたところ、運営さんにバンされたことを懐かしく思います。今はゴミのようなテーマでも許容されているようですね。

 

さて、40歳となった今でもプログラミングを中心とした仕事に就くことができ、大変幸せに思います。
これまで、大手SIer勤務、フリーランス、会社経営、スタートアップへのジョインと様々な経験をしてきました。
20年にわたるエンジニア人生、経営者人生を振り返りながら、なるべく「フリーランス残酷物語」というテーマに沿った事柄を皆さんにお伝えできればと思います。
一部微妙な内容も含まれますが15年ほど前のことなので大目に見ていただきたいと思います。

 

脱サラ

二十歳のときに入社した大手SIer(入社当時は東証2部だったので中堅でしょうか)では、主に制御系ソフトウェアの開発(半導体・液晶製造装置関連)をやっていました。プラットフォームはMS-DOSWindowsNT、開発言語は C言語VBVC++という感じでした。途中、半年くらいATMソフトの開発をやっていた頃もありました。
3〜4年目で10名規模のチームを持ち年収も500万クラスとなり、やりがいのある環境でしたが、学生時代から起業したいという漠然とした思いがあり、また周囲で独立・起業する人が多かったこともあり、流れに乗ってフリーランスとして独立しました。

起業

資金も乏しかったこともあり、まずは個人事業主としての開業となりました。必要な手続きは本店を管轄する税務署に開業届出書を提出するだけです。
http://www.nta.go.jp/tetsuzuki/shinsei/annai/shinkoku/annai/04.htm
フリーランスのみなさん自宅が本店ですよね!?
退職後、しばらく休暇を取る人も多いと思いますが、私は退職した直後に開業をし、営業を開始しました。

最初の仕事

当時はスタートアップという言葉も無く、今のように新しいサービスやプロダクトを立ち上げる人は少なく、「まずは下請けから」というのが大半でした。
従って私も安定的に仕事をいただきながら生きて行くという生活が始まりました。
ここで重要なのが人脈です。とにかくコネです。サラリーマン時代に親しかった上司や取引先の人たちを頼り、仕事を獲得していきました。
最初にお世話になったのは、10名規模の企業さんで、2つの生産管理システムの案件を担当しました。
 1つ目は某自動車部品メーカーさんの小規模なシステム開発、2つ目は某自動車メーカーさんの大規模システムの開発でした。後者は情シス的な関連会社に常駐しての作業でした。大手SIer 数社が集まりシステムを開発しており、私はそのうちの一つにぶら下がって作業していました。どこのSIerもマネージャーや上級SEはプロパーで、以下はほとんど外注、しかも自分と同じフリーランスの人が多かったのを見て、フリーランスになりたてだった私は軽く衝撃を受けました。

最初の契約

サラリーマン時代に外注さんを使っていたこともあり、契約的な知識はそれなりにありましたが、単価の相場については全く無知でした。
まだ起業仕立てだし個人で信頼も低いし、サラリーマンの頃より少し多いくらいが妥当かな〜という感じでした。しかも最初の仕事は完全固定でした。徹夜もしました。ちなみに請求書を2部提出するよう言われ従っていました。
どこかのブログで「必要だと思う金額の2倍」という内容を目にしましたが、今となっては正にその通りだと思います。税金や社会保険の負担、その他雇用保険がないことへの備えなど、1.2倍や1.3倍くらでは全然少ないと思います。2倍くらいが妥当でしょう。


最初の離脱

上記大規模システムの開発をはじめ半年くらい経ったころ、プライベートな事情で引越しをしたこともあり、常駐先へ通うことが難しくなったため、プロジェクトを離脱することを決意しました。大手の案件でうまくいけば長期的・継続的にお仕事がもらえる状況でしたが、若干飽きてきたこともあり、離脱することとしました。
当然引き止めが入り、続けるなら◯◯万(契約していた金額の約倍額)出せる、と言われたとき、この業界の闇を感じました。

次の仕事は…

前の契約が切れたタイミングで次の案件探しの旅に出ました。フリーランスで特に常駐の場合、次の仕事を探すのが難しかったりします。
調整次第でお休みや早退したりもできますが、はじめてだったことや地理的な事情(引越しした)もあり、結果的に前の仕事が終わってから、次の仕事を探すこととなりました。今のようなインフラもない時代でしたしね…
知り合いの会社から、頼みたい仕事があるから来て欲しい、との連絡を受け次の仕事が決まったと思い、やる気満々で訪問したところ、なんか様子がおかしい...どうやら見込んでいた案件が飛んだっぽい。軽く世間話をして解放されてしまいました。
このとき自分は会社員ではなくフリーランスであり、一経営者であることを痛感しました。


最大のピンチ

フリーランスをはじめて2年目くらいに最大のピンチが訪れました。
ガラケーのアプリ(iアプリとかVアプリとかEZアプリとか)が出はじめた頃、某キー局のアプリを開発する案件を請けました。納期は1ヶ月弱。先方がiアプリを担当し、自分がEZアプリとVアプリを担当することになりました。請負契約でした。

Vアプリはなんとかなりましたが、EZアプリ(BREW)がやばい。標準UIでいけると思っていたが、エンタメ系アプリだったこともあり、すべて独自UIで実装しなければいけないと途中で判明し、連日徹夜で死ぬかもしれないと思いながら開発していました。しかも追い討ちをかけるかのように、開発しながら仕様とデザインが固まっていくタイプ。QualcommBREWの情報をあまりオープンにしていなかったこともあり、とにかく情報が少なく、洋書を含めて関連書籍をかき集め、なんとか期日までに動くものは納品できましたが、キャリアさんのテストが通らずあとは先方にお任せしてしまいました。BREWテストかなり厳しかったんですよね…


エンジニアと経営者の二面性

エンジニア系フリーランスはエンジニアでもあり経営者でもある必要があります。
開発などの実務中はエンジニア、営業や経理などをしているときは経営者、この両方に対応できなければ長くは続けられないと思います。
個人事業主は毎年12月が決算月となり、会計・決算・納税をしなくてはなりません。会計士さんにお任せしたり、クラウドサービスで半自動的に処理できるとしても、経営者として最低限の法令知識を身につける必要はあります。
スマイルで営業トークができなければ美味しい仕事はもらえません。
最新技術で楽しそうな案件でも、経営者として厳しい目で見積りを出し、受注するかどうか判断しなければいけません。
技術者として引け目があっても、いざという時は契約を盾にして身をまもらなければいけません。
当然ですが楽しいことばかりではありません。

つづけることが大変

何事もそうだと思いますが、フリーランス・経営をやってみて感じたことの一つして、始めるのは簡単だけど続けることが大変だということがあります。
フリーランスなら書類一枚、法人設立でも20万くらいの資金と幾つかの書類を揃えれば事業が開始できます。
でも、事業を続けることはとても大変で難しいことだと思います。人・時間・お金などのリソースの管理、法令や税務などの対応、そして本業(自分の場合は開発) …

この点については、これから始めようと考えている人においては一定の覚悟は持っていただくべきかと思います。

とは言っても、続けることがどうしても困難になったり、どうしても心が折れてしまうこともあると思います。途中で諦める勇気も重要だと思います。

そして今

 24歳で独立した私も、今ではスタートアップ企業に就職し、日々黙々とAndroidアプリの開発に専念しています。

フリーランス・経営者時代の経験を生かす機会は当面なさそうですが、地獄のような日々、常にシビアな判断に迫られる日々で鍛えられた感性は、これからの人生においてプラスになると思っています。
そして今でも20年前から世話になっているお客さんから、相談や引き合いのメールをいただくのでした。MS-DOSは現役です...